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平井 純 (ヒライジュン)

平井純 建築設計事務所 主宰

一級建築士登録番号:第287617号・1998年

一級建築士事務所登録番号(28A)第02736号

所在地:〒606-0806

    京都市左京区下鴨蓼倉町68-1下鴨亭

JUN HIRAI

​JUNHIRAI ARCHITECT .. CEO

First-class architect registration : No.287617

Architectural design studio : No.(28A)02736

STUDIO Location :

shimogamotei,68-1,shimogamo-tadekura,

Sakyo,Kyoto,JAPAN  #606-0806

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経歴

​Professiona Experience

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資格

​Professiona Qualification

受賞

Awards

1970年 福井県小浜市生まれ

​1994年 京都精華大学美術学デザイン学科建築専攻卒業

​     卒業前年に日本経済バブル崩壊、世界旅に出る。

​1996年 阪神淡路大震災後の復興建築を手掛ける

     中堅規模(50名)建築設計事務所(大阪)勤務

​1997年 デザイナーとして起業(個人事業主)

1998年 一級建築士資格取得

1999年 一級建築士事務所登録、建築家として歩み始める。

2003年 下鴨亭(現在に至る)京都下鴨に拠点設立。

2004年 小兵衛亭(2003 ~ 2013)若狭小浜に拠点設立。

     一級建築士事務所として20年の設計現場経験を積む。

2019年 令和元年5月1日に

     平井純 建築設計事務所(一級建築士事務所)に名称変更。

​一級建築士・普通免許・大型自動二輪免許

First-class Architect..

Driver's License..  

Motorcycle License (unlimited)

​1993年 コーナン建設 主催/第四回フレッシュデザインコンペ

     フレッシュデザイン賞 受賞

​1999年 鹿島出版社 主催/SD Review1999入賞

     (ARAI ARCHITECTS スタッフとして)

2015年 日本木材青壮年団体連合会 主催/

     第19回木材活用コンクール・木材活用特別賞 受賞

業務内容

​Business Details

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建築設計監理(企画提案・デザイン・基本設計・実施設計・監理業務)

□公共建築 <ホテル旅館、美術館、その他、新築および改装計画>

□住宅建築 <戸建住宅、新築および改装計画>

□店舗建築 <飲食店、物販販売店、新築および改装計画>

□古民家建築<改装(re-novation)および移築計画>

□家具計画 <造作家具(建築内)家具企画開発>

□家具販売 <国内外家具メーカーのデザイナー椅子販売>

□舞台美術 <イベント、音楽祭、企画デザイン監修>

□寺院建築 <既存寺院修理改修改装、庫裏新築および改装計画>

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生い立ち

​Biography

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1970年(昭和45年)5月23日、大阪万博で盛り上がる時代の変わり目に母の実家のある福井県小浜市にて生をいただく。

生まれた時からラッキー!と思い続け今に至る。

心で本気でそう思うと現実世界は本当にそうなっていく。

楽観主義な性格からの意識、考え方、在り方が後の人生を創っていくとは子ども時代は思いもしなかった。大人になり様々な経験や書籍から、なるほど。後で知ることに。

医学部大学教授の父と英語塾教師の母の元に長男(四人兄弟)として生まれる。幼少期(4歳 〜 6歳)家族の仕事の関係でカナダケベック州モントリオールで暮らすことが、母国「日本」という価値観の枠だけに縛られない生き方の基礎となった気がする。そして海の向こうの世界を知ることで「日本」という伝統文化により興味を持つことになりアイデンティティが育まれ、母の実家である福井県小浜市の江戸時代から続く蔵元の古民家(日本伝統木造建築)に幼少期に経験することで建築の原体験が出来上がった。

小学生から帰国して京都で育つ、幼少期は絵を描くことと工作(木工やプラモデル)にハマり。外に出れば野山を駆け回り!建築の原点の秘密基地をつくる。特に小学から中学にかけて魚釣りに熱中する。

学校の勉強はした覚えがないが、九九だったり算数の計算だったり誰より早かったことだけは覚えている。笑、勉強というよりゲーム感覚に近い。そのくせ成績はいつも普通のちょい上くらいで、優秀であった訳ではなく自分より学校成績の良い友人はいっぱいいた。母の口癖が「やればできるのに‥笑」だった。

時は「受験戦争」という言葉や校則に雁字搦めの中「構内暴力」などの言葉が、その年の流行語大賞を賑わせていた頃、自我が芽生え始め、なんとなく社会の枠組みの中でそのまま大学生になり就職活動をして会社員になるのか?みたいな違和感を持ちながら悶々と模索していた。

中学生からは父の仕事の関係で家族ごと金沢に引っ越して雪国文化に触れることとなった。中でも度ハマりしたのがスキー。スノボもまだない時代のこの爽快感と浮遊感、大自然の中を滑走することに夢中になり、初心者でヘタッぴ。だったことから、とにかく上手くなりたい!という一念でスキー場に通いまくった。高校時代は山岳スキー部に所属した。夏は登山、渓流釣りでイワナやヤマメを追いかけ。なんとも恵まれた街の環境で育ち楽しかった記憶しかない。

時は高度経済成長期の真っ只中、持続可能な伝統工法や本物の素材よりも便利で使い捨ての経済の循環に重きを置かれる全ての事象と共に育ち、中学高校と育った古都、石川県金沢市の高校の卒業と同時に昭和から平成に元号が変わった。

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高校時代は理数系に属し、機械や電気など工学部の道を進むものだと思い込んでいたが、なぜか?未来にワクワク感はなかった。そんな高校3年の秋に同級生が美大を目指し将来デザイナーになる!と「鉛筆デッサン」という技法を見せれくれた。絵を描くことは好きだったので、まさかこんな世界があったとは!衝撃を受け、その足で本屋に向かったことを今も覚えている。

その衝撃で人生が変わった。

時に人生なんて、そんなものかもしれない。

その時の直感で!僕もデザイナーになりたい!そこから両親にお願いをして美大を目指すことの進路変更を許していただき、現役では到底間に合わない「鉛筆デッサン」を学ぶために浪人決定!美大受験もほぼ現役では受けないまま、関西の美大ということで卒業と同時に京都に移り住み下宿暮らしで絵画教室(美大を目指す美術研究所)に通い一般受験同様の予備校通いの浪人生活が始まるのである。

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そして平成元年の12月に初めに受けた京都精華大学美術学部に合格し、そのまま一校目の合格で僕の浪人生活は終わりとなった。平成2年(1990年)春、晴れてデザイナーの一歩を踏み出すべく美大に入学する。

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​大きな目標!大学受験をクリアする。日本の学校教育の特徴だが、実は大学は入学してからが本番であるはずなのに受験のギャップから自身も気が抜けてしまい、学業以外のことにも夢中になり、高校時代から乗りたい!と思ってたバイクの免許を大学に入り直ぐに取得、そして!中古の400ccのバイクを手に入れて日本国内の旅が始まるのです。

大学に通いながらアルバイトにも明け暮れ、時間ができると!とにかく走り回っていました。夏休みはテントを積んでツーリング旅、今、思うとなぜに?あれほど夢中になっていたのか?と思うくらい。

そんな学生生活を送りながら「デザイナーになる」という想いは持ち続けながらも、入学した美術学部デザイン学科アーバンリビング専攻という一見、何のデザインを学ぶ?と思い蓋を開けてみると、なんと「建築」を学ぶところでした。デザイナーになる!と決めたものの、建築家?と、まったく想像もしていなく。何か法律のしばり、構造のしばり、お金のしばり、など制約されることが多いイメージがあって、自由自在にデザインをしたい!という学生にとっては面食らった一面がありました。

そして大学2回生になった時、正式に選考名称が「アーバンリビングデザイン」から「建築」に変更となり、美術学部デザイン学科建築選考、建築家への道に自動的になったのです。その時はまだ建築に興味が湧かず、ただ設計課題はこなすものの卒業したらどうしよう?!と悶々とした日々を過ごしていました。

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人生は、ふとした出会いと直感で進んでいく。

​決め過ぎず、つまり枠組みを作り過ぎず、決め意識はするが、常にニュートラルな感覚で目の前に現れる事象や出会いに対して、先入観なく直感のままに受け止め、受け入れ、歩むことで結果として道はできる。決まり決まったレールを歩くだけは僕はつまらないと思っている。言葉にするとそんな感じだが、当時の僕はなんとなくそんな感覚を持ちながら、様々な出会いの中で導いていただいた気がする。

大学生も半分を越えたあたりから、まだ好きとは言えなかったけれど、建築に向き合うようになり目の前の課題をコツコツこなしていた。所属していた建築専攻はスパルタ教育でとにかく作品のアラを探し(笑)ツッコミどころを講師陣に囲まれ指摘され続けた。そういう悪いところ探しは好きではないので、馴染めないながらも慣れとはコワイもので、元来の負けず嫌いも相まってコンセプトワークのスキルが自然に身に付いていった。当時は腹立たしかったけれど、どん底に作品を落とし込んでくださった先生たちに感謝しています。そして今の基礎が出来た気がします。

​そして3回生の時の学外実習という建築やデザイン事務所の現場にて90時間の実習を積むという単位があり、友人の紹介で大阪のデザイン事務所に夏の間、お邪魔することになった。学外実習なのでボランティア活動なんだが、バイト代は出して下さることになり、有り難く頂戴しながら単位分の時間を働かせていただいた。

当時の自分の中の不安は先が見えない大学卒業してからの道だった。まだ建築家になる!という覚悟も持てず、悶々と続く日々にもチャンスは訪れる。大阪のデザイン事務所に舞い込んだ広告代理店からのビアガーデンのデザイン計画だ。学生なので絵は描けても現場のことなんて、さっぱりわからない素人。出来ます!と言いながら、プレゼンテーションの資料を友人と2人で創らせていただくことになり、とんとん〜と決まり、京都二条城の北にあったホテルの屋上のビアガーデンの計画が進んで行くのでした。基本デザイン費=時給700円が僕の初めての建築仕事。

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人生は先が見えないからおもしろい。

​あれよあれよ、と決まり。工事も進んで行くが工事現場なんて学生にとってはさっぱり未知の世界。現場に行くこともなく、一応、基本計画を元に現場が始まったようだった。当然、現場の都合でモノゴトは動いて行き、完成した時にバイト先の社長さんに連れて行っていただいたお店は、プレゼンテーションとは別世界だった。強いて言えば照明のブルーだけが一緒。笑、そんな感じでお店は出来上がっていた。今、思うと現場を仕切れない分かってないデザイナーに現場を導けるわけがない。プロとなった今なら当たり前にできて、分かることも当時は霧が思い切りかかった回りが見えない中にいた。

僕にとって

建築家を目指す大きなきっかけとなる。

やはり!現場を知り、しっかり図面を描けないと会話ができない。僕の現場主義の考え方がこの時に芽生えた。この時、悶々としていた未来が建築家になる!とはっきり!晴れ渡った時でもあった。

ではなにから始めたらよいのか?!とにかく設計事務所に行こう!働かせてもらおう!と決めたものの、この建築家の設計事務所という世界、初任給10万円という場合によっては丁稚奉公なので半年無料とか、そういう封建社会の中にあり、実家暮らしではないので、それでは生活ができない!と困り果てていた。

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時代はバブル経済、真っ只中。

大学生3回生の時に、そのバブル経済とやらが崩壊した(らしい)そうだ。恩恵を経験してないので、さっぱり分からないが、自分が日本の常識となっている就職活動の時には初代の氷河期世代とか呼ばれ、笑。一応、アポを取って会社訪問など回ってみたものの、なるほど。門前払いから建築業界も不況の中にあった。元々、独立して「デザイナー」として生きていく道しか考えてなかったので、なるほど了解っ。相手にされない会社巡りは直ぐにヤメて、卒業後に旅に出よう!と切り替えた。というのも4回生の時、大学の建築ツアーで連れていってもらったアメリカ西海岸建築巡りの旅があまりにも衝撃的で刺激的であり、学生時代、バイクで日本国内はほぼ回ったけれど、海外には出てなかったことを後悔していた頃だった。一般常識的に考えると就職したら旅なんて出来なくなると云われ、そうなのか?!とも思ってはいたけれど、なんとなく。そんなはずはない!という思いはあった。

なので、就職活動の超氷河期という時代の巡り合わせは、僕にとってはラッキー。笑、大学の卒業と同時に!世界の旅に出るぞ!と変化していき、まさに卒業した年の春、飛行機のチケットを握り締め、晴れて旅人となった。

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人生は実際の経験に勝るものなし。

大学を卒業してからは、まさに夢の世界を旅しているようだった。東回りで太平洋を渡り北米大陸からどんどん東に進みヨーロッパを巡り地中海の孤島に辿り着いた。建築は人とその回りの空気を包む空間をつくることにある。絶妙な居心地の良さやドラマティックに広がり外の世界と繋がる寸法感覚や仕掛けの数々、洋書で見ていて経験したつもりになっていても、やはり現実のその国の空気と時間で実体験することは建築家を志す学生あがりの時期に大きなことを旅から教えていただいた。

時代を越え色褪せない建築の数々、世界中から人が訪れる意味がよく理解できた。​なるほど。建築とはこういうことなんだ。実務経験は全然ない時期だったけれど、客観的な人としての建築の関わり方を実体験を重ねることにより建築の意味を深く理解できた気がする。建築家となった今も、その時の気持ちのままに時々世界を旅している。

旅資金が無くなれば日本に戻り建築設計事務所で模型づくりの仕事を沢山させていただいた。そしてまた旅資金ができると再び旅立つ。二年ほど旅をして、そろそろ働こうと思った時に日本では神戸の震災が起こり、関西は復興建築計画で忙しくなっていた。そんな中で神戸で復興集合住宅を主に手がけていた中堅どころの組織事務所に初めて就職させていただき、たったの一年だったけれど。実務経験というのを現場で覚えさせていただいた。そして26歳の時、若すぎると云われながらも、根拠のない自信から(笑)デザイナーとして独立する。2年かけて一級建築士の資格を取得して、1999年8月に一級建築士事務所の登録を果たし資格上は建築家と名乗れるようになる。

ところが最初の3年は泣かず飛ばず。仕事の依頼はほぼ付き合いのあった、企業の下請けデザイナーとしてのみであり、お金にはなったが、外注というだけで、お勤めの時となんら変わらない状態だった。つまり公に自分の名前で責任を持っていないので匿名の企業のお抱えデザイナーという位置付けである。いろいろ考えた中、また新たな厳しい道へ進む。「元請け仕事しか!しません!」宣言。御世話になった企業には申し訳ないのだが、代わりがいる以上、僕である必要はなく、自分の時間を自分の道を優先させていただき歩むことを決意する。

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全ては心次第でなるようになる。

元請け仕事のみ宣言!から少し東京で活動をすることになり、都会のなんとも云えない競争に馴染めずにいた2001年頃、福井県小浜市の親戚(母の妹さん)の家の改装設計をさせていただくことになった。後に若狭小浜に深く関わらせていただくきっかけになる。ほぼ経験が少ないままに初の元請け建築工事が進み、言葉には表現できないくらいの経験を一気に積ませていただいた。

 

そして2003年東京には帰らず、京都の下鴨神社の近くに築90年の今にも崩れそうな(笑)古民家を紹介していただき大改装工事を施し、その年の12月晴れて自身のアトリエ「下鴨亭」が竣工する。この年、若狭小浜の祖父が6月、続き母が病を患い50代後半で9月に他界するという衝撃的な経験をすることになる。当時つい最近まで話していた家族である祖父や母の他界は大きく二人を看取るという経験することが、後に目に見えない世界、この世の仕組みや成り立ちを研究するきっかけとなる。9年後の2012年には祖母も看取ることになり自身の"死生観"が築かれた。

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縁のままに。

そして2004年春に母の実家である若狭小浜の江戸時代から続く蔵元を改装させていただき、2003年から2013年までの間、アトリエとして使わせていただいた。

​母亡き後、心の拠り所を無くしてしまっていた時期でもあり、その拠り所を取り戻すため、ただただ居させていただくことが自分にとって有り難くて仕方がなく。親戚さん一同に感謝が尽きません。

​今は違う使い方をされているので僕のアトリエではなくなっていますが、場所の存在、帰る場所がある「建築」の意味を深く教えていただいた気がします。

この時、下鴨亭と小兵衛亭と二つの拠点を与えられたことは、後の僕の建築家人生にとっても大きな意味を成します。

御依頼が一気に増え、2003年からの16年間で100件近い現場を経験させていただき同じ価値観の職人仲間や友人も磁石の如く増えて、令和元年となった今、2019年8月は丁度、一級建築士事務所を設立して丸20年です。21年目の始まりに立ち。気持ち新たにこの20年という経験を礎に歩んで参ります。

サイト内の「BLOG」には日々の考えや感じたこと出来事を「CONCEPT」ページには建築の想いや気持ち、実現したいこと、目指す世界、志について詳しく記します。

そして僕の旅はつづく。

この時代に生をいただき随分と時が流れました。感じるままのラッキー人生は沢山の人の縁、土地の縁を頂きながら、然るべく流れの中で今に至ります。

何カ国訪れただろう?地球を何周しただろう?パスポートの空欄もほぼ無くなるほど訪れた国の入出国記録の印鑑でいっぱいになった。それでもまだ世界のほんの少しを知っただけだ。

建築を知るために旅が始まり建築を表現するために旅は続く。僕たち人類が生まれ暮らした数だけの建築がこの地球には存在する。言語文化は違えど「暮らす」という建築経験は同じ。果たしてどれだけ未来、経験できるか分からないが、先輩後輩、みんなの夢を託され表現してきた足跡である建築や街を巡り、僕も表現し続ける。​

それが、この時代を生きる証となる。

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